映画「テレビジョン」から見るベンガル人のヒンディー化
- Nozomi
- 2018年6月1日
- 読了時間: 16分
2013年に公開され、バングラデシュでも大きな話題となった映画、「テレビジョン」。この映画は、バングラデシュの村社会を今までとは違った切口で描き出しているのですが、今回は特に、バングラデシュのヒンドゥー化という視点で見てみたいと思います。
1. 映画「テレビジョン」のあらすじ
この映画は、バングラデシュの小さな村の村長ラフラーミンがテレビジョンの禁止の是非についてテレビのインタビューを受けるシーンから始まる。彼がテレビジョンを禁止したことで、民主的権利を奪われ、村人は闇の中に閉じ込められている、宗教指導者もテレビジョンに出ているではないかと切り込むレポーターに業を煮やし、彼はインタビューを打ち切る。
村長がテレビジョンをそこまで毛嫌いする理由、それは単純であり、偶像礼拝を禁じるイスラーム教の教えに反するからだ。彼はまた若者の携帯電話の所持も禁止していた。「若い男女が夜な夜な通話したり、フェイスブックなどというものにうつつを抜かし、教科書を読まなくなっている」という新聞記事を読んだのだ。若者のために下した決定だったが、若者たちにとっては「山ほどルールを作り『正しい道を歩め』と締め付けている」という不満を引き起こす。
そのような中で、村長の息子ソライマンと彼の使用人モジュヌが共謀して演技し、若者の携帯電話所持を認めさせたところから、事態は徐々に進展していく。ソライマンはビジネスに行ったはずのダッカで、村にいる恋人コヒヌールとの電話で、携帯電話がもたらす離れた場所にいる愛しい人の生活を覗き見られる幸せに夢中になってしまう。さらに彼女とテレビ電話をするためにコンピューターを手に入れ、一晩中隣に寄り添うようにして話を続ける。彼にとって、「コンピューターはアッラーが授けた贈り物」だったのだ。
ソライマンがそのようにしてダッカで時を過ごしていたころ、村では大きな事件が起こる。小学校教師のクマルが、テレビジョンを村に持ち込んだのだ。
それを受けて、ラフラーミンはモスクで祈りをささげながら、テレビジョンの是非について考える。「西から来たユダヤの民がもたらしたテレビジョンを禁止すれば、異教徒の信仰の妨げになるし、認めれば、わが信仰(イスラム教)の妨げになる」と述べて、苦しい胸の内をアッラーに吐き出す。結局、テレビジョンはヒンドゥー教徒だけに見ることを許し、イスラーム教徒には決して見せないという条件付きで、クマルの家に置くことにした。だが、その晩、村の人々が続々と集まってくる。一度は村長命令だからと見せることを拒否したクマルだが、夜なら誰にもわからないという人々の圧力に負け、皆が見られるようにした。しかし、テレビジョン見たさに、子どもたちが続々とクマルの家で開かれる算数塾に通うようになる。
ある日、ラフラーミンが村に来た時に、「テレビジョンがないと死んでしまう、テレビジョンを見せろ、さもなければ毒を飲む」と訴えてきた人々がいた。彼らはみな薄給の小学校教師で、収入不足を補うために自宅で塾を開いているが、子どもたちがみな、テレビジョンがあるクマルの家に流れていってしまったので、生計を立てられなくなってしまったのだ。その様子を視察にきたラフラーミンは、イスラーム教徒でも子どもたちはテレビジョンの音を聞き、大人たちは鏡を通してテレビジョンを見ているということを知る。テレビジョンは、村人が見守る中、海に沈められる。
だが、その後、若者がテレビを見に川を渡り、市場に行くことが問題となり、ラフラーミンは、市場に行って村の若者を見つけたら罰するようにと命令をだす。すると、映画館にいた多くの村人が、引き立てられてラフラーミンの前に来た。「村人の行動は私の理解を超えた」と怒る村長に、村人たちは、映画やテレビジョンと決別するという宣言を述べる。その後の協議で、村に査証制度を導入することと、ハラールなテレビジョンを作ることが決定された。このハラールなテレビジョンというのは、巨大なテレビジョン型をした舞台で、人々がその中で演技をして、それを楽しむというものだったが、それを見たラフラーミンは「若者に間違った歴史を教え込む『芝居』は罪深いもので、想像は悪である」と批判し、それも中止になってしまった。
一方、ダッカにいたソライマンは、体調を崩していた。テレビジョンを直接見ていたということで、ラフラーミンに命じられ、耳たぶをもって三回屈伸するという屈辱的な見せしめの刑となったコヒヌールからもう連絡をとらない、と言われ、彼女と音信不通になっていたのである。お酒をあおりながら恨み言を述べるソライマンの代わりに、モジュヌがコヒヌールの家に行く。すると、彼女は、自分と結婚するために必要な条件を二つ出す。一つ目はソライマンの父ラフラーミンと戦うこと、二つ目はテレビジョンを買ってコヒヌールの家に来ること、である。これを聞いたソライマンは激怒し、一度はコヒヌールとの絶交を考えたが、やはり、コヒヌール以外の女性との結婚は考えられなかった。ついに彼は、拡声器を用い、父親には何も告げずに、村にテレビジョンを持ち込んで、だれでも自由に見られるようにしたこと、コヒヌールと自分が結婚することを村中に触れ回る。「我々は断じて抑圧の対象にならない。現代人として立派に生きる、声を上げる」と叫び続けるソライマンの主張は村の若者たちの心を打ち、ついに暴力行為にまで発展してしまう。父親の掟すべてに黙って、従順に従ってきたソライマンが、初めて声を上げ、父親に反抗した瞬間だった。
愛する人との結婚のためだったとはいえ、父親が傷ついている姿を見たソライマンは、のちになって、この行動を深く後悔する。父親に抱き着き、泣きながら謝るソライマンに、自分がハッジ(メッカ巡礼)から帰還したら、お前の結婚式を挙げるから準備をしておくようにと命じる。
だが、ハッジに行くためには、パスポートが必要であった。そのためには写真をどうしてもとらなければならないと知ったラフラーミンは食事ものどを通らないほど大きなショックを受ける。周囲の説得で、いやいやながらも写真を撮り、パスポートを作り、いざ村を出てダッカに来た村長。ダッカの街中には、宣伝広告の写真など、村長が禁じてきた「イメージ」があふれかえっていた。だが、悪徳旅行業者に騙されてしまい、ダッカで助けてくれる人もおらず、結局メッカに行く道は閉ざされてしまった。このままでは、村人に顔向けができない、と泊まり込んだダッカのホテルで、絶望に打ちひしがれて、食事をとることもままならなくなる。そんな彼の耳に、ある日突然飛び込んできたのは、ハッジの音である。なんと、彼が滞在していたホテルの、隣の家のテレビジョンから聞こえてきたのだ。彼はいてもたってもいられなくなり、テレビジョンをつけてくれるよう、近くにいた人に頼む。そして、テレビジョンをついに見てしまった背徳感と、離れた場所であってもハッジが体感できる幸せにむせび泣きながらアッラーに祈りをささげるシーンで、この映画は幕を閉じる。
ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の共生
映画「テレビジョン」では、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の共生がきっかけとなって、宗教信仰により一つにまとまっていた村に徐々にひずみが生じていく様子が「テレビジョン」という一つの文明の利器を通して巧みに描かれていた。挿入されている音楽や、カメラワークも非常に考え抜かれており、しかし私は、この映画の最大の魅力として、こののち、村がどのような変化を経験し、どのように発展していくのかという結末が明示されないまま、終わっていたことをあげたい。この後の展望を明確に描き出していないからこそ、自分の信条やコミュニティーについて再考するよう人々に訴えかけ、ベンガル人のみならず、この映画を見たすべての人の心を強くとらえたと考えられる。そこで、今回、実際の事例や調査報告を通して、この村がどのような変容を遂げると考えられるかを、考察してみたいと思う。
【1】テレビジョンがベンガルの社会にもたらしたヒンドゥー化
そのうえで欠かせないのが、この映画のタイトルともなっている「テレビジョン」である。「テレビジョン」はベンガルの人々にどのように影響を与えたのだろうか。Robaka Shamsher Mohanmad Nayeem Abdulla 教授が記した「Effect of satellite television on the culture of Bangladesh」という論文から、少し概観してみたい。
バングラデシュで従来より安いテレビジョンの販売や、チャンネル数の増加に伴い、テレビジョンは、もはや中級クラスの持ち物ではなく、社会階級が比較的低い人々も容易に手に入れることが可能になったので、テレビジョンは確実に普及している。それに伴い、テレビジョンがバングラデシュの社会に及ぼした影響について、彼が2012年に行ったアンケート調査では興味深い事実が浮かび上がっている。その中で、テレビジョンを外国の文化を知る手段として用いていると回答した人は、全体の95%にも上り、新聞やインターネットと答えた人の数を大きく圧倒した。また、テレビジョンに影響されて変化した文化があるかという質問の答えを人数に基づいてランキングにすると、一位が「着る服の変化」二位が「外国の音楽への興味が生まれたこと」そして三位が「外国文化の流行を模倣するようになったこと」となったそうだ。
実際に、この点は、別の論文でも指摘されている。※特に最近チャンネルの数が増加しているインドの文化の影響を強く受けていると述べている。「バングラデシュ人は、インド人のように飲み食いし、歩き、話し、買い物をし、眠るようになった。(中略)テレビジョンから伝わるインドの文化は子どもたちや女性たちに強い影響を及ぼしている。今までは、10代の男の子たちでさえ、ヒンディー語の映画を一本も見ることがなかったが、現代では、小さな子供から大の大人まで皆が映画を含むヒンディー語の番組を視聴できるようになった。これは、バングラデシュの文化ではなく、インドの文化の発展における成功といえる。」ここでも言及されているように、テレビの普及に伴ってバングラデシュの人々がケーブル回線やDVDでインド映画を見る機会は急増している。
実は、映画館や公共施設でのインド映画の商業上映は、両政府間協議によって互いに禁止されている。双方の文化が相互にもたらす悪影響を懸念してのことであった。実際、インド映画の人気により、バングラデシュ映画は衰退しつつある。その点、南出(2013)は、「バングラデシュ全体の年間映画製作数は減少傾向にある。五、六年前には年間百本程度であったが、現在は三十から四十本程度だという。(中略)バングラ映画にはヒーローと悪役がはっきりと示されるアクション系や、家族のいざこざと絆を描いた人情系の映画が多い。映画全体に占める割合としてはバングラ映画の方が多いが、そのバングラ映画が今減っている」と記している。さらに、ヒンディー映画を好んで見る子供たちのベンガル語能力の衰退も危惧されている。ヒンディー語の番組を見て育った子供たちは、ベンガル文化の価値を認識しづらくなっているようだ。先ほど※の論文では、バングラデシュの子供たちが、インドのテレビ番組で人気を博している俳優や女優のように話しふるまうことに危機感を覚えている。例えば、バングラデシュ人の女性たちが選ぶ洋服や髪形でさえ、インドの女優を模倣しようとするので、昔、ポピュラーだったバングラデシュのサリーはもはやだれも買いたがらなくなり、インドのサリーの人気に押されるように消えかけているのが現状なのである。
「バングラデシュ人は、インド人のように飲み食いし、歩き、話し、買い物をし、眠るようになった。テレビジョンから伝わるインドの文化は子どもたちや女性たちに強い影響を及ぼしている。現代では、小さな子供から大の大人まで皆が映画を含むヒンディー語の番組を視聴できるようになった。これは、バングラデシュの文化ではなく、インドの文化の発展における成功といえる。」
確かに、映画「テレビジョン」でも、村の若者たちが反旗を翻すシーンで、今までの身に着けていた伝統の衣装を捨てて、皆が洋服を着てスローガンを叫ぶ様子が印象的であった。先述の南出(2013)は、ベンガルムスリムの豊かさについて「ヒンドゥー文化を内包するイスラーム文化」と表現しているが、実際に「テレビジョン」という一つの文明の利器を通して、ムスリムのバングラデシュ人の中でヒンドゥー化現象が起こっている様子を考察できた。
【2】ヒンドゥー教徒とのかかわりによるヒンドゥー化
次に、この映画を読み解くうえで必要なもう一つのカギであるヒンドゥー教徒とのかかわりについて、考慮したい。
先ほどは、ムスリムが大多数を占めるバングラデシュの社会に目を向けてきたが、ここでは、ヒンドゥー教徒がマジョリティーのインド、西ベンガル地域の一つの村に注目する。
まず、インドの宗教事情について触れておきたいと思う。2001年の国勢調査を見ると、都市部と農村部それぞれの宗教人口が発表されている。特に、農村部ではヒンドゥー教徒が約1870万人、イスラーム教徒が約340万人、キリスト教徒が12万人、仏教徒が8万人となっている。特に注目すべきは、スィック教徒とジャイナ教徒の信者の数が、農村部が都市部の5倍以上も大きいということだ。このように、農村部では、雑多な宗教事情が渦巻いていることがわかる。
その中で、宗教間のかかわりを特に指摘できる一例として、少数民族のサンタル人のヒンドゥー化を上げたい。サンタル族は、もともとは、狩りや採集、移動耕作を生業とする自給自足の生活を送っていた。また、伝統的に、固有の信仰を持ってきた。かつてはヒンドゥー社会と距離を置いて生活してきたサンタル族の人々も、都市化や貧困層の開発により、ヒンドゥー社会と近接して住むようになった。それで、近年、ヒンドゥーの仕事を手伝ったり、ヒンドゥーの小作人になったりするサンタル族の人々が増えてきた。この交流の中で、少数民族であるサンタル族が次第に高位カーストであるヒンドゥーの社会規範や考え方、儀礼を取り入れるという意味で、「ヒンドゥー化(Hinduized)」が起こるようになる。特に、サンタル族のヒンドゥー化について「南アジアを知る辞典」では「部族主義的傾向で知られているサンタル族は、実際にはヒンドゥー文化の影響を強く受けており、比較的豊かなクラスの者はヒンドゥー高位カーストの慣習をいろいろ採用しているが、にもかかわらず意識面ではヒンドゥー化を拒否し、ヒンドゥーからの分離を強く志向している」とある。
その一例として、サンタル人の女性たちのサリーの着方の変化が指摘されている。先ほども、テレビジョンを通して、インドの女優を模倣したインド風のサリーが流行していると指摘した。しかし、未だに電気が通っていない村で生活するサンタル族でも、この衣装という分野でヒンドゥー化が起こっているというのは、注目に値すべきことである。ヒンドゥー教徒の女性たちとサンタル族の女性たちのサリーの着用においては、布の巻き方、服の丈、選ぶ色など、様々な相違点がある。だが、最近は仕事や、結婚式あなど改まった場の場合、サンタル族の女性たちがヒンドゥー女性のサリーの着方に倣うようになってきた。伝統的なやり方ではなく、ヒンドゥー女性の着方がサンタル女性の間では「正装」として意識され、日常生活の着方と使い分けているのである。この意識の変化について、千葉(2008)はこう解説している。「サンタル女性にとり、『ヒンドゥー女性の着方』が『フォーマルな着方』そして正装と位置付けられている。重要なのは、ヒンドゥー化とは単にサリーの着方の変化だけではなく、意識の変化とつながっていることである。すなわち上位の社会の着方をフォーマルな着方とし、自分たちの着方を普段着の着方とするというように、着方の間に上位・下位の位置づけがなされている点である。これは上昇志向として説明される。自分たちの文化を下位として位置付けるならば、次にはその文化を破棄するように力が働くであろう。そして民族のアイデンティティは失われる方向へ進む。」
サンタル族のヒンドゥー化が女性の服の着方に反映されているというのは非常に興味深い点である。なぜなら、服装、またその着こなしは人間の生活を支える衣食住のうちの一本の柱だからである。その根本がヒンドゥーとのかかわりによって影響を受け、ある面ではマイノリティである彼らの文化、さらに意識を変革していることが分かった。
カースト規律が厳しいヒンドゥー社会の中で、少数民族は底辺に位置付けられている。それでも、サンタル民族の中で、民族のアイデンティティを求める動きがあることも知っておかなければならない。例えば、アイデンティティを形成する大きな要因の一つである言語についていえば、ベンガル語を話す人々が増えてきた今、サンタル語を低学年の教育に用いるという画期的な学校の建設が始まっている。また、20世紀中ごろからは、伝統的な部族宗教を復活させ、ヒンドゥー教や、キリスト教の得ている地位まで、ステータスを高めようとする運動も見られる。このように、様々な「ヒンドゥー化」の波を受けてきたサンタル族であるが、もとから持っていた文化とヒンドゥー化のはざまにあって、自分たちのあり方を模索し始めている。
「重要なのは、ヒンドゥー化とは単にサリーの着方の変化だけではなく、意識の変化とつながっていることである。すなわち上位の社会の着方をフォーマルな着方とし、自分たちの着方を普段着の着方とするというように、着方の間に上位・下位の位置づけがなされている点である。自分たちの文化を下位として位置付けるならば、次にはその文化を破棄するように力が働くであろう。そして民族のアイデンティティは失われる方向へ進む。」
考察の【1】では、テレビジョンを通してみられるバングラデシュにおけるベンガル人のヒンドゥー化を、【2】では、西ベンガル州のサンタル族のヒンドゥー化について学ぶことができた。「ヒンドゥー化」により、それが特に未来のベンガルを形作る若者たちに大きな影響を及ぼし、それぞれ持っていた固有の文化や、言語が失われつつある現状を知ることができた。それで、もしこの映画に続きがあったとしたら、テレビジョンが村に入ってから、インドの番組を視聴するようになった村の子供たちは、ヒンディー語をまねて話すようになり、少女たちはインド風のサリーをねだり、若者たちは、インドの俳優にあこがれたライフスタイルを追い求め始めると推測される。この近代化の流れの中で、バングラデシュでも、西ベンガルでも、ヒンドゥー社会とのかかわりが増し、同化が進み、農村社会が解体されてゆく状況は、避けられないのかもしれない。しかし、その一方で、民族のアイデンティティを守ろうと格闘している人々がいることも忘れてはならない。映画「テレビジョン」でも、村を出て、町に繰り出す若者たちが便利さを追求した近代文明の影響をどんどん受け、村を改革していこうとする一方で、「若者たちのためを思って」その動きに反対する老人たちがいた。この近代化の波と、ベンガルの社会が長い時間をかけて紡いできた文化をどれほどうまく調和できるかが、今後のベンガルの社会における課題である。
4.参考文献
・南出和余(2013)「バングラデシュ シネコンに集う『ベンガルムスリム』」(総特集 混成アジア映画の海:時代を映す鏡―映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ)京都大学地域研究統合情報センター 地域研究13(2)pp335-341
・金基淑(1992)「二つの水、jalとpani―インド・ベンガル地方のポトゥア・ジャーティーの生業と宗教」民俗学研究57/2 pp149-173
・西村博行(1999)「バングラデシュの氾濫原における内水面漁業の営み」近畿大学農学部紀要 第32号pp79-93
・千葉たか子(2007)「マドプール村の開発―インド国西ベンガル州の少数民族の村の変化」青森保健大雑誌8(2)pp225-236
・千葉たか子(2008)「インド少数民族にみるヒンドゥー化―サンタル女性のサリーの着方の変化を基に」青森保健大雑誌9(2)pp123-130
http://archive.prothom-alo.com/detail/date/2012-09-22/news/291536
http://www.mediabangladesh.net/bangladesh-religion/
https://www.quora.com/Is-West-Bengal-India-now-a-Muslim-majority-state
http://www.saontalvoice.org/about_saontal_community.html
http://www.indianetzone.com/2/the_santhal_tribe.htm
Comments